裏庭(四)

 

   だが、秀の不安と心配は、当らずも遠からずというか、
   ある意味彼の想像を超えたところで当っていた。

   “犯罪まがい”のこと、どころか、当麻がやったことは“犯罪”だった。


   目的を持ってからの当麻の行動は早かった。
   先ずは、学校のネットワークに侵入し、情報収集を行った。
   しかし、簡単な個人情報や成績以外に、奴の弱みになるようなデータは
   保管されていなかった。

   実家は山口で、地元の名士だが、父は既に他界しており、
   現在はさほど裕福でもないこと、今は、母を山口に残し、
   都内のマンションで年の離れた社会人の姉と二人で暮らしている、そんな程度のこと。

   もちろん、これだって立派に違法行為なのだが、今の当麻にはさして興味あるものではなく。
   (秀が言ってた噂の『郷里のお袋さんが病気で・・・』ってネタはこの辺からか)
   と思う程度で。

   そこで次に、日々の行動を探ることにした。
   1組が体育の授業で誰もいない間に、教室へ忍び込むと、
   予め調べておいた席へ迷いなく進み、手早く鞄の中や携帯の中、その他の持ち物に、
   そして下駄箱へ向かい靴の中にも、自作の発信機を取り付けた。

   素人には決して見つることは出来ないだろう。
   盗聴は、これが上手くいかなかった時の、次の手段とするつもりだ。
   それからは毎晩、PCで一日の動きをチェックした。
   発信機は、自画自賛したくなるほどの性能を発揮している。
   ところが、肝心の奴の行動は、ある意味、予想を裏切るものだった。
   というのも、その範囲も道程も、ほぼ毎日同じなのだ。
   連日、地図の同じ線の上を移動する光点。
   見るのがアホらしくなってくるほどに変化がない。
   学校ではそこそこ友人達と親しくしている割には、一緒に遊びに行くことも
   ないのだろうか、学校帰りの寄り道はもちろん、土日もあまり遠出・外出をしないらしく、
   近所へ買物に出かける程度だ。

   なんてつまらない奴。当麻は、腹の内で笑った。
   だがその時、ふと、あることに思い至った。
   逆に、彼のこの生活は、あの年齢の男子の割には、あまりにもパターン化
   されすぎているのではないかと。

   それは指先に刺さった見えない棘のように、当麻の心に引っかかった。


   そんな、ひと月程経った、ある土曜日のことだった。
   どうせ今日も光点の動きは同じだろうと、PCの電源を入れ、追尾ソフトを立ち上げ
   再生ボタンを押してからモニターの隅に追いやると、別のプログラムを開いてそちらに
   集中し始めた。

   ところが、僅か10分後、当麻は気付いた。
   明滅する点が、いつもと違う経路を辿っている!
   仕掛けたうちの一つが、自宅からどんどん離れてゆく。
   慌てて画面を拡大して、発信機の行方を追う。
   電車に乗っているらしく、動きが早い。だが、それにしても遠い。
   タイムリーに見ているわけではないので、早送りして確認すると、
   自宅からおよそ2時間も掛かる場所へ移動していた。

   そして、ある地点で、それは止まった。しかもかなり長いこと留まっている。
   当麻は、すぐに、そこが何なのかを、検索した。
   地図を拡大し、住所を確認して打ち込むと、その場所はすぐに判明した。
   (クリニック?・・・って、じゃあ、噂の第一候補がビンゴってことか・・・)
   一瞬、また、なーんだ・・・と、思いかけて、当麻の視線がモニターの、
   ある文字の上で止まった。

   なんとなく、病気で病院なら内科だと思い込んでいたそのクリニックの診察内容が、
   内科は内科でも、“心療内科”だったから。

   (心療内科ってことは・・・精神的に何かあるってことか?)
   だが、毛利伸が、精神的に不安定だなんて話は、噂にも聞いたことがない。
   あいつについて調べ始めてから、それとなく他の奴等に聞いた話でも、出てくるのは、
   成績優秀、品行方正、落ち着いていて、いつも笑顔を絶やさない、
   優しくて良く気のつくいい奴、優等生の鏡、そんな言葉ばかりだ。

   誰かと言い争うなんてことも全くないらしい。
   当麻からしてみれば、そんなのは、完璧すぎて嫌味な奴という以外の何者でもなかったが。
   それが、一体どうして・・・。
   少しの間、当麻は思案した。
   当麻の良心的な部分が、もうこれ以上の詮索はやめろと、言ってくる。
   本人もそんなことは重々承知している。
   だがそれにもかかわらず、どういったわけか、見るな、見てはいけないと思えば思うほど、
   逆に魔物に魅入られたかのように、指先は、その奥深くへと入ってゆくキーを
   叩きはじめていた。

   ほどなくして、モニター上に、後々見なければ良かったと後悔することになる、
   その画面が、次々と現れた。

   まるで、吸い寄せられるように、瞬きをするのも、息をすることさえ忘れて、
   その画面を凝視する当麻の顔色が、見る間に青ざめていき、キーボードに置かれた指先が
   細かに震え始めた。

   そして、当麻は毛利伸の隠された真実を、全て知ることになった。
   今更眼を瞑っても、慌ててネットワークを遮断しても、時既に遅しだ。
   IQ250
の頭脳は、本人の意思とは関係なく、目に入った情報の全てを、瞬時に記憶野に
   伝達してしまった。


   「PTSD・・・」

   当麻が呟いた。
   心的外傷後ストレス障害。
   最近ニュースなどでよく耳にする言葉だ。
   それが、毛利伸のこの1年分の診断データ、カルテの最初に書かれていた文字。
   当麻は、頭の中が、ぼわん と、膨張するような感覚に見舞われた。

   瞼の上を親指の付け根で抑えるように掌で覆い、ぐっと奥歯を噛み締めて、
   自分の脳に抵抗を試みたが、結局は無駄に終わった。

   今しがた目にしてしまったものを、思い起こすまいと、見なかったことにしようとしても、
   脳はそれを映像にして再生し、事実を突きつけてくる。

   まるで、責任を取れと言っているように。
   当麻は已む無く、どさりと椅子の背にもたれて、腕を両脇に垂らし、天井を見上げた。
   何の変哲もない白い天井がゆっくりと降りてくるように感じる。
   痛いほどに上がってしまった心拍を宥める為に、目を閉じゆっくりと呼吸をする。
   それでも、耳の奥は未だズクズクと嫌な音をたて続けている。


   初診は、去年の8月末。
   (ということは、休学した後か・・・)
   そして、カルテには、違う病院名も記載されていた。そこも自宅からは随分と遠い。
   その病院では外科的処置を受けたとある。7月には外傷は完治していた。
   そこまでは、どうやら姉からの情報のようだ。この段階では、どんな外傷だったかは
   記載されていない。

   (怪我が治ってから、心療内科のクリニックに行くまで約ひと月。
   確かに、ああいうところへ行くのには、決心がいったんだろう。)

   PTSD
の後ろには続けて、こう書かれていた。
   “5/5暴力行為による”
   (『暴行』?喧嘩でもしたってことかよ・・・いや、何か事件に巻き込まれたのか・・・?)
   当麻が知る本人と、噂に聞く毛利伸という人物からは想像もつかない言葉だ。
   最初に出会った時の印象を思い浮かべても、どこにもそんな空気はない。
   肌もきれいで、完治まで2ヶ月も掛かるほどの傷を負った形跡は見当たらなかったし、
   それこそ、目に着くような傷痕があれば、体育の授業でばれるだろうが、
   そんな話も聞かない。

   カウンセラーのメモには、

   『15:0015:30 毛利伸(15)。紹介者:姉 PTSD 5/5暴力行為による精神不安定。
   (外傷は○○病院にて治療→7月完治)表面上は正常。
   但し、暴力行為の詳細については語らず、事実を否認し現実逃避する傾向あり。
   要長期治療、グループカウンセリング不可』


   とある。

   そこまでの再生で、当麻は思い出した。
   彼に対して、得体の知れない薄気味の悪さと冷めた空気を感じたことに。
   現実逃避。そうか・・・だから・・・
   そこまで思考が至った瞬間、予期せぬ雑音に、当麻は思考の世界から現実へ引き戻された。
   それこそ飛び上がるほどドキリとしたが、その音の原因が分かると、ほっとした。

   それは、四半期に一度掛かってくるかどうかの、電話。
   今はNYにいる母親からだった。
   いつもは煩わしいとさえ思うのに、この時に限っては礼を言いたいほどに有り難かった。
   半身沈みかけた真っ黒な沼から、引き上げてもらった気分だ。


   つづく

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