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トピックス

バコロド市内慰霊巡拝

2005年11月19日(土)セブ島内慰霊巡拝。セブ泊。
フィリピンの衣・食・住
フィリピン慰霊友好親善訪問アルバム

シライ市庁舎前の道路を走る自転車タクシー。
2005/11/18 自転車タクシー
ネグロス島最南端の岬で、タリサイ追悼式。
2005/11/18 タリサイ追悼式
サラビアの日本軍塹壕跡。
2005/11/18 元日本兵塹壕跡
このような店がいたるところにあり、たばこは一本売りしています。
2005/11/18 サリサリストア
砂糖きびを満載したトラック。
2005/11/18 砂糖きびトラック
■2005年11月18日(金)バコロド市内慰霊巡拝と小学校訪問。バコロド泊。

5時:起床。3階のため、窓からの眺めはそれほどよくないが、椰子の林、古びた建物と、いかにもフィリピンといった風景が見える。
6時40分:朝食はバイキングだ。品数は少ないが味は悪くない。パインジュース、パイナップルがうまい。食事中ガイドの高橋さんが現れ、ミネラルウオーターのことを聞いたらすぐ手配してくれた。1本、48ペソだ。ウエイターがミネラルウオーターとレシートを持ってきてくれたが、100ペソ渡しているのに4ペソのお釣りが見えない。おやおやと思ったら、領収書のバインダーに直接見えないように挟んであった。1ペソ硬貨をじっくり見ていたら、ウエイターがこちらを面白そうに眺めていた。
9時00分:バスでバコロド市内慰霊巡拝に出発。高橋さんの他に、若い男女一人づつの現地ガイドが付く。タリサイ市の観光課職員とのこと。外は快晴ではないが晴れている。蒸し暑い。バスの中には蚊取り薬の缶がつるしてあり、蚊も一杯いて緊張する。道路は相乗りタクシーのような車で一杯、鶏小屋のような露天商が続く。
出発間もなく、タリサイ市の入り口で、看板を背に記念写真を撮る。タリサイ市は砂糖で潤った街とのこと、周辺は砂糖きび畑。刈り取り作業中、刈り取った跡、すでに次の芽が出ていたりと様々だ。沖縄の砂糖きびと違って、台風があまりこないためまっすぐ伸びて、人間の背丈よりずっと大きくなっている。
このあたりの道は、舗装してあるがデコボコで、かなりのスピードで走るためバスの揺れが激しい。兄貴はメモを取るのに難儀している。沿道の住民は、みんな愛想が良く手を振っている。
9時50分:バスがやっ通れるような狭い路地に入り、椰子の林が続く小道を進み、最南端の岬に到着。

10時〜11時:タリサイ追悼式。ここでは、ネグロス島で亡くなった、天内、清水、縣の3人。
戦没地点までは行けないため、できるだけ近くまでということで、道ばたに、向かって左にフィリピン国旗、右に日本の国旗を掲揚した祭壇をみんなで作り、関係遺族が供物、線香等供える。
慰霊祭は、
・拝礼
・関係者遺族による追悼・焼香
・関係者以外の焼香
・献歌(ふるさと)
・黙祷
としめやかに続く。追悼のことばは涙でふるえ、献歌ではみんな泣いていた。自分も涙が止まらなかったが、兄も泣いていた。
11時5分:慰霊祭では個人の写真撮影禁止のため、終わってからそれぞれに記念写真を撮り、祭壇を撤収して出発。帰り道、果物の王様といわれるドリアンが一杯なっている木を見つける。
11時50分:今にも雨が降ってきそうな空模様の下、舗装されていないデコボコ道を10分ほど走り、サラビアの日本軍塹壕跡を見学する。北のほうには塹壕がポツンポツンとあるが、ほとんど壊されたとのことである。ここの塹壕も、個人の住まい(倉庫)に使われているようだ。近辺にはこどもがいっぱいいる。洗濯物が満艦飾のように干してある。
12時15分:シライ市とマガロナ市(MAGALONA)の境界で下車して記念写真を撮る。
12時25分:道路脇にある塹壕跡を車内から見る。隣は大きな病院を建設中。

12時30分:シライ市役所前にバスを止めて、お昼の中華弁当を食べる。ここで市役所のトイレを借りたが、朝から4時間も行けなかったため、みんな殺到したが、男女兼用になっていたりで、一カ所ごとのトイレの数が少ない。丁度昼休みの時間で、消灯中で真っ暗な中を、1階、2階とあちこちを借り歩いた。雨が降ってきたがスコールと言うほどでない。歩行者で傘をさしている人はほとんど見かけない。
13時10分:市役所前出発。自転車タクシー、自動二輪タクシーが一杯走っている。アスファルト道路は相変わらずデコボコだが、バスはかなりのスピードを出して走る。市外へ出ると、あたり一面砂糖きび畑がすごい。

14時5分:21日にタモガン方面で小学校訪問予定のはずであったが、急遽繰り上げシライ市のタヤップ小学校訪問。各人が日本から持ってきた学用品、下着等の慰問品と、本部が用意したバスケットボールをあげた。こどもたちみんなで歌を歌って歓迎してくれた。帰る頃、雨が強くなってきた。
14時20分:当初の予定になかったが、小型バスに乗り換えて、昭和20年2〜4月頃にかけての激戦地、シライ山へ行く。
15時30分:シライ山の日本人が駐留した地にあるシライ神社と慰霊碑を参拝。この碑は、土井さんという日本人が個人で作ったとか。戻って、人骨を焼いたという地点付近まで行く。付近を掘り返せば人骨が一杯出てくるのではと聞き、戦争の悲惨さを改めて感じた。
16時10分:大型バスに乗り換え帰路につく。来るときと同じだが、道路は広いが舗装されているのは一車線のみで、舗装の具合により対向車がくると正常車線に戻って走っている。
17時30分:ホテル到着。
18時30分:昨日と全く同じメニューの夕食。
19時30分:部屋に戻る。
21時10分:就寝。夜中2時頃目が覚め、あとは4時頃までウトウトして起きてしまった。
バコロド、エル・フィッシャーホテル泊

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