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セブ島内慰霊巡拝

2005年11月20日(日)カタルナンでおやじの慰霊祭。ダバオ泊。
フィリピンの衣・食・住
フィリピン慰霊友好親善訪問アルバム

お昼に食べたスイカのスープおいしかった。
2005/11/19 スイカのスープ
セブ・タリサイ追悼式。
2005/11/19 セブタリサイ追悼式
花束を海に向かって投げかけ供養。
2005/11/19 セブタリサイ
トーチ跡。
2005/11/19 トーチ跡
旅行期間中に誕生日を迎えた3人の誕生祝い。本部で大きなバースデーケーキまで用意してくれたのには感激。
2005/11/19 誕生祝い
■2005年11月19日(土)セブ島内慰霊巡拝。セブ泊。

5時:起床。今日は誕生日、63歳になったんだ。
5時30分:モーニングコールを確認してすぐに朝食、昨日と同じ朝食バイキング。
6時30分:荷物を持ってロビーに出たが、飛行機が30分位遅れるとのことで、空港で待つよりホテルで待ちましょうと、ロビーで時間つぶしをする。外にちょっとでたところスコールにあう。さっと降ってさっとやむ。道路に立っていると、相乗りタクシーが次々と来る。料金は15ペソとか聞いたが、いつお金を払って、降りる場所はどのように知らせているのか、じっと見つめてもよく分からない。
7時20分:バスでホテル出発、パコロド空港に向かう。外は雨だ。
道路は片側2車線で、センターラインはわずかに残っているが、ほとんどないと同じ。車は追い越しをかけるため、かなりのスピードで右へ左へと目まぐるしく車線を替えている。街並みは、日本のホームレスの住まいに、波トタン屋根をつけたようなスラム街(店)が続いている。8時から9時頃店を開くとのことで、まだ開店前だ。
7時45分:バコロド空港に着いたが雨は降ったりやんだり。荷物検査は相変わらずきびしい。添乗員の外和さんは、以前旅行カバンを開けて中身を調べられたとのことで、今回もと身構えていたが、旅行カバンは開けることなく通過した。どうやら、検査装置が入ったため、装置に任せるようになったようだ。
8時45分:エアーフィリピン航空011でセブ空港に向けて離陸。

9時35分:セブ空港着。曇り空だ。セブ島は南北に長い島、海軍が活躍したところとか。7,000以上の島から成るフィリピンのど真ん中に位置する、フィリピンきってのリゾート地だが、街中落書きだらけ。
パコロドも同様だったが、道路に信号機がない。セブ島内全部で、30から50位しかないとのこと。空港をバスで出発。バスの冷房が猛烈に効いているが、バス運転手はイラクのフセインにそっくりな怖そうな人で、声をかけられない。
10時10分:今夜宿泊するセブミッドタウン・ホテルにチェックイン。今日は国際会議が入っていてホテルが満員とか。こういう時は、チェックインが遅れるとキャンセルされることがあるとのことで、先にホテルで荷物を下ろしチェックインした。このホテルは、1〜3階がデパートになっていて、4階から上がホテルだ。空港での厳しい検査とは逆に、荷物検査は一切なかった。

10時55分〜11時35分:今は街のビセンテソト病院となっている海軍病院跡でセブ追悼式。ここでは、鶴見、和田の2人。
「慰霊碑」の大きな石碑があり、その前に祭壇を作り、タリサイ同様の手順で慰霊祭を行う。
12時00分〜13時20分:お昼は、日本料理に近いものをと言うことで中華料理。10品ほどでたが、スイカのスープ、マンゴーパインがおいしかった。みんなよく食べていたが、特に隣に座った小林さんは本当によく食べていた。
13時35分:太陽がまぶしい中、高級住宅地の中を通って丘の上にでた。マルコポーロプラザホテルの中に海軍碑があるのだが、大がかりな改築工事中で、ガイドの高橋さんは先方との交渉に苦労して、30分後に入ることができた。碑の前で慰霊祭をできず、参拝したのみで海岸に向かう。
15時5分:道路より5分ほど歩いて海岸に出る。

15時25分〜16時15分:日射しが強い中、セブ、タリサイ追悼式。ここでは、八田、小澤、奥田の3人。花束を海に向かって投げかけ供養。帰りがけ、住居として使っている塹壕跡、トーチ跡を見学。
16時50分:セブミッドタウン・ホテル着。部屋は広いが、シャワーが壊れて使えない。昨日のホテルもシャワーの湯の出が悪かったんで、今日は頭洗おうと意気込んでいたのにガッカリ。他の部屋のシャワーもみんな壊れて使えなかったようだ。バスローブはカビだらけだが、トイレはきれいだ。冷蔵庫には飲み物が入っている。5階の部屋からの眺めは悪くない。フィリピンは、どこから見ても緑が多いなあと感ずる。
18時00分:バスで30分ほどかけて夕食会場に移動。
18時35分〜20時5分:夕食はこれまた中華料理。二回も続くとうんざりというところだが、みんなよく食べる。
食事の最後に、旅行期間中に誕生日を迎えた、清水(16日)、春日(19日)、田淵(23日)の誕生祝いをしてくれた。本部で大きなバースデーケーキまで用意してくれたのには感激でした。
20時30分:バスでホテルに戻り、明日追悼式の4人が詳細手順の説明を受ける。ここで、おやじはアグソン川周辺の作戦に参加していたのだから、戦没地はその周辺ではと兄が聞いたところ、戦没日時からしてアグソン川までは到達していないと予想され、ラバオを戦没地としたことを聞く。第30師団でも、おやじが属した野砲兵第30連隊はダバオに展開していた資料もあることより、これを受け入れることとした。
21時00分:部屋に戻る。
22時00分:寝る。エアコンの音がうるさいと切ってしまったが、夜中特に温度が上がることもなく快適だった。
セブ、セブミッドタウン・ホテル泊

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