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カタルナンでおやじの慰霊祭

2005年11月21日(月)タモガン方面慰霊巡拝、午後マニラへ。マニラ泊。
フィリピンの衣・食・住
フィリピン慰霊友好親善訪問アルバム

19日に泊まった、セブミットタウンホテルからの眺め。
2005/11/20 部屋からの眺望
おやじの戦没地点は、ここから南へ50〜60qのラバオだ。
2005/11/20 カタルナン追悼式
椰子の実ジュース。
2005/11/20 椰子の実
ダリアオ追悼式会場周辺。
2005/11/20 ダリアオ
バイクに乗るダリアオの若者たち。
2005/11/20 ダリアオ
■2005年11月20日(日)カタルナンでおやじの慰霊祭。ダバオ泊。

5時:起床。今日は、今回の旅行の一番の目的、ミンダナオ島に行き、おやじの慰霊祭をするんで忘れ物等ないか緊張する。
6時00分:朝食バイキング。食後、ホテル最上階からの眺めを写真に撮る。快晴でないが晴れている。
7時30分:荷物を持って集合。慣れてきて、窃盗、忘れ物に注意の案内がある。外は暑いがそれほどでない。
7時45分:バスで空港に向かう。相変わらず車内には蚊がいる。途中、道の両側に水を張った池のようなたんぼが続く。塩田とのこと。ラプラプ市に入る川を渡る。大きな橋は日本の援助でできたとのこと。
8時45分:セブ空港着。ここでも入り口で荷物検査、搭乗手続きで再度検査と二重にチェック。出発ロビーにはマッサージ師がいて無料とのことだが、チップが必要だ。いつ搭乗手続きが始まるか分からず、時間が十分あると思って田淵さんがマッサージをしていたところ、急に搭乗手続きが始まった。
9時55分:ダバオに向けて離陸。フィリピン航空2P026。
10時20分:ミンダナオ島と思われる陸地が見える。ついにきたんだと飽きることなく見続けた。真下は山のようだが、見える範囲は丘、谷が続き、あれが日本兵が想像を絶するほど難儀したジャングルかなーと思いを巡らす。

10時45分:ダバオ空港着陸。空港ビルは1年半前にできたとのことで真新しい。
ミンダナオ島の中心都市ダバオは、フィリピンではマニラに次いで2番目に大きい町。人口約137万人、面積2,440ku(神奈川県とほぼ同じ)と世界で最も広い都市だそうで、大正時代には麻の栽培で栄え、リトル東京とまで云わたようである。ダバオは火山灰のため米はできないとのことである。
ここから現地スタッフのエリーさんと、国家警察のバルさんが同行してくれる。治安が懸念されるため本部が事前に手配していたのだ。
11時10分:荷物を受け取り外に出る。日射しが強く暑い。機銃を持った警官、軍人がいて警戒は厳重だが、みんな陽気で一緒に写真を撮らせてくれた。ダバオの治安危険度は3位とか。
11時20分:小型マイクロバスで、通路まで詰めて座って出発。現地ガイドが二人付いた。空港からダバオの街までは3〜4q。
11時45分:現地料理のお昼。高級料理店というが蛍光灯はむき出し、切れているのもある。トイレの便座カバーが壊れていて、大のときはどうするのか気になった。
12時25分:カタルナンへ向けて出発。外は猛烈な暑さ。40℃位ありそうだ。道路は舗装されていて歩道分の広さもあるが、歩道は石ころのままで舗装されていない。板に貼り付けたナンバープレートの車が走っている。建物が、がん木のように張り出しているのは暑さ対策か?少し走った頃、反対車線の交通事故を見たが、対向車線は何事もないかのように流れている。

13時10分:カタルナン追悼式。山下、嶌田、春日兄弟の4人。
おやじの戦没地点は、ここから南へ50〜60qのラバオだが、現地までは行けないため、できるだけ近くということで、カタルナンの石碑の前に、向かって左にフィリピン国旗、右に日本の国旗を掲揚して祭壇を作り、供物、線香等供える。
つづいて、
・拝礼
・兄、おれ、嶌田、山下の順に追悼のことば・焼香が続く
・関係者以外の焼香
・みんなで、ふるさとを歌う
・黙祷
と、とどこおりなく終了、家から持ってきた石ころと柿の実を、お地蔵さんに詰めて石碑の隣に埋める。追悼のことば、献歌「ふるさと」は涙でふるえてしまったが、無事終了して良かった。本当に、ここへきた甲斐があった。
猛烈に暑く、汗びっしょりになったが、式典場所は木陰になっていて、直射日光からは遮られた。
13時55分:現地の子供に鉛筆を一本づつあげ交流。その後、椰子の実狩りを見る。小学校高学年位の子供が、スルスルと椰子の木に登り実を落とし、その場で椰子の実ジュースを飲ませてくれた。横浜中華街で飲んだときは、こんなまずいもの飲めないと思ったことあるが、落としたばかりの椰子の実ジュースはなま暖かいが、実にうまい。ココナッツもうまかった。
14時15分:再び来ることがないだろう、カタルナンの地を後にする。
14時30分:道すじのコンビニでトイレ休憩。
15時00分:収容所跡地をバスの中から見てUターンする。

15時10分〜16時00分:ダリアオ追悼式。山岸、田淵、松山、中山、沖本の5人。
椰子が茂る海岸に即席の祭壇を作り追悼式を行い、花束を海に向かって投げかけ供養する。その後、砂浜で貝殻を拾ったり、砂を採取するも、貝殻はほとんどない。
16時40分:バイクを乗り回す若者たちと交流、帰路につく。17時頃、日が沈みかけて暗くなってきて人の数も多くなってきたが、街道筋のお店はどこも電気をつけていない。暗い中で店を開いている。
17時15分:ホテル到着。白亜の五つ星高層ビルだが、ここでもセキュリティは厳しい。玄関前には機銃を持った警官がいる。警備員がカバンを開けて調べているが、麻薬犬のような犬もいて、こちらは臭いをかいでOKとなった。部屋は広く、ブラウン系のインテリアでまとめられ落ち着いた雰囲気。前面ガラス張りの窓からの眺めも良い。大理石を多用したバスルームも快適でした。
18時30分:バイキングの夕食。品数は沢山あったが、ここでも特にパイナップル、バナナがおいしかった。フィリピンダンサーのショーもあり、土田、兄貴等は一緒になって踊っていた。
19時30分:ホテルの玄関前にでてみた。むっとする暑さだ。星が少し見える。中でもきわだった明かるさのが一つあり、誰かが南十字星だと叫んだ。十字になっていないんで、そんなはずないよと言ったところ、案の定どこかホテルの明かりだった。
20時00分:部屋に戻り、耳が聞こえずらくなったこと等、今回の旅で初めて兄貴とゆっくり話をする。高音が聞き取りにくいとは、老人性というより、自分と同じで感応性難聴なんだろうか気になる。
22時10分:シャワーを浴びて寝る。エアコンは今日も止めて寝たが、夜中にちょっと寒かった。兄貴がスイッチを入れたとのことだった。
ダバオ、マルコポーロダバオホテル泊

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