TOP 自己紹介 私の趣味 トピックス リンク 役立つ情報
トピックス

タモガン方面慰霊巡拝

2005年11月22日(火)カリラヤにて全戦没者追悼式。マニラ泊。
フィリピンの衣・食・住
フィリピン慰霊友好親善訪問アルバム

マルコポーロダバオホテル前で警戒する警官です。
2005/11/21 ホテル前
ペットポトルを持って灯油を買いに来た。。
2005/11/21 年配の夫婦
来られなかった方からの、預かった手紙類を焼却供養。
2005/11/21 タモガン追悼式
タモガンのこどもたち。
2005/11/21 タモガン
相乗りタクシーは、小型トラックに席と屋根を付けたような車だ。
2005/11/21 相乗りタクシー
■2005年11月21日(月)タモガン方面慰霊巡拝、午後マニラへ。マニラ泊。

5時:起床。4時半に目が覚めたが、フィリピンにきて一番眠れた。夜は明けていないが曇り空。
6時00分:朝食バイキング。料理はいっぱいある。兄貴は丸山さんと話が弾んでいるんで、一人で18階まで行き写真を撮る。アグソン川の方向には山並みが見える。丁度ダバオ空港への着陸機か、目の前を左から右方向へ飛行機が通過した。
7時30分:荷物を持ってロビーに下りる。玄関に出てダバオの街の空気をおもっいっきり吸い込んだ。周辺には警戒の警官、軍人がいる。機銃を持っているため怖い感じがするが、写真は自由に撮らせてくれた。それでいて、不良っぽい人間が通ると、機銃を構えて追い返している。
8時00分:マイクロバスで最後の追悼地、タモガンに向けて出発。晴れてきたが、そんなに暑くない。タモガンまで1時間45分位、トイレ休みはガソリンスタンドが目安だと案内がある。昨日の現地ガイドは、今日のお花を用意してくれて分かれ、別の男の人が一人つく。
8時10分:ダバオ川を渡る。昭和20年5月1日〜5日、ダバオ川を挟んでフィリピン軍(アメリカ軍)と、日本兵の戦闘があったとのこと。近くにダバオ日本人会の建物がある。広い通りはひっきりなしに車が走っている。道路を横断するには、信号機がないため車の間隙を縫って渡らなければならないため大変だ。40分位市内を走って山道に入る。民家はあまりないが、至る所にサリサリストアという店が点々とある。椰子の林がすごい。
9時5〜9時25分:ガソリンスタンドでトイレ休憩。日射しが強い。かなり年配の夫婦連れか、棒きれで支え合って、ペットポトルを持って灯油を買いに来た。200oリットル(満タンで4ペソ)位の小さなペットポトルだが、それでも満タンに買えるだけのお金がないようだ。フィリピン人の平均寿命は60歳とのことであるが、こんな老人をみかけたのは初めてだ。
このあたり舗装もよく、車も少なくスムーズに走っている。バナナ、椰子、米の田んぼもある。建物はひどいスラム街だ。それでも、どこの家も物を売っている。まもなく舗装道路からはずれ、デコボコの山道に入る。

9時45分:個人追悼式最後の地、タモガンに到着。日射しが強い。
9時55分〜10時45分:元日本兵の酒井さんが管理してくれているという碑の前で追悼式を行う。ここでは、関、小林、丸山、土田の4人。
式典がもう少しで終わるとき、女性の一人が気分悪くなり倒れた。式典の最後に、ここへ来られなかった方からの、預かった手紙類を焼却供養して全て終了した。
10時50分:連隊が道を歩くと目立つため、川沿いに歩いて上ったというスワワン川へ出て、記念に石ころを拾う。帰りがけ、集まっていたタモガンのこどもたちに氷砂糖を一個ずつあげたところ喜んでくれた。
11時40分〜12時5分:フィリピン日本資料館見学。戦時の写真、機銃等の資料が保存されている。建物は、武蔵野ライオンズクラブ寄贈とあった。
12時50分〜13時35分:少し高級なフィリピン人が来るという店で、フィリピン料理のお昼バイキング。外は蒸し暑い。
13時55分:ダバオ空港到着。時間があるから土産物をみていて下さいと解放される。もう二度とこられないだろうから、なんでもいいからダバオの記念品を買おうと思い、テーブルクロスのような布、照子にアクセサリ、Tシャツ、鉛筆立てと買いあさった。特に時間制限なかったが、30分ほどして集合がかかった。搭乗券を受け取ったところ、予定より一便早い14時55分の便で、添乗員自身もビックリ。最初からこの便が分かっていたら土産物など見られなかったと思うと、早めに買っておいて良かった。
14時45分:搭乗後、席に着くまもなく離陸。席は14Aと15Bに分かれていたが、変わってもらい兄と並んで座る。窓際の席で、外を見るのに最高だ。ミンダナオ島を上空から見てお別れしたが、すぐ雲の下になってしまった。ミンダナオ島上空を抜ける(離陸後30分後)頃、右のポケットのあたりが冷たい。ペットポトルのふたがしっかり閉まっていなかったのか、逆流してポケットを濡らしてしまった。ポケットに入れていたデジカメが、駄目になるところだった。クワバラクワバラ。

16時20分:マニラ国内空港着陸。バスでターミナルビルへ移動。バスはよくこんなで動くというような古い車で、ドアは開けっ放しで走っている。
17時5分:荷物を受け取りホテルに向かう。ホテルに向かう道路の両側は椰子の並木。絵はがきのように、丁度マニラの夕日がきれいに見える。街路には、すでにクリスマスの飾り付けが始まっている。電話線の配線がものすごい。この通りに日本大使館もあるとのこと。
17時30分:ホテルチェックイン。このホテルは当初日本人の経営だったとか。五つ星で、景観もすばらしいホテルだ。セキュリティチェックが厳しいのは共通だ。着いてすぐ出してくれたマンゴーのジュースがうまかった。兄貴は濃すぎたといってたが、本物のジュースだ。
17時50分:部屋に入る。部屋は広く、シャワー、トイレ、その他文句なし。16階で眺めも悪くない。
18時40分:夕食は徒歩10分位の所とのことであるが、付近の治安が良くないとのことでバスで移動。
18時50分〜20時35分:居酒屋「けん太」で夕食。追悼式で気分悪くなったHさんも、元気を取り戻したようで参加。さしみ、天ぷら、茶碗蒸し、焼き魚とフル日本料理。フィリピン米というが、ごはんも日本と同じようにふっくらとしてうまい。
従業員を見ていると面白い。黙々と運ぶ人、お客の前に配膳する人が完全に分かれている。配膳する人は、運搬人をこき使っている感じだ。お客の前に運搬人が持ってきても、配膳する人を経由しないと直接受け取れないのだ。
長野県から参加の山岸さんは、息子さんがフィリピンに勤めていて会いに来て、息子さんと夕食をしていた。
20時45分:バスでホテルに戻る。
22時45分:寝る。いろいろ話し込んで、つい時間が経ってしまった。
マニラ、ダイアモンド・ホテル泊

一つ前のページに戻る