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カリラヤにて全戦没者追悼式

2005年11月23日(水)マニラ市内視察。午後帰国。
フィリピンの衣・食・住
フィリピン慰霊友好親善訪問アルバム

21日と22日に泊まった、マニラダイアモンドホテルからの眺望。
2005/11/22 マニラ
ガソリンスタンドでトイレタイム。
2005/11/22 ガソリンスタンド
マニラ南方110kmカリラヤの地、比島全戦没者慰霊碑の前で執り行われた合同慰霊祭。
2005/11/22 全戦没者追悼式
カリラヤにて全戦没者追悼式。
2005/11/22 カリラヤ
■2005年11月22日(火)カリラヤにて全戦没者追悼式。マニラ泊。

5時:起床。昨夜は11時前に寝たが12時頃までウトウト、夜中に目が覚めて寝汗でびっしょり。4時に目が覚めたが4時間寝れば十分だ。今日は、マニラ南方110kmカリラヤの地に建立されている比島全戦没者慰霊碑の前で執り行われる合同慰霊祭だ。
5時45分:朝食バイキング。食券を持っていったのであるが、間違えて23日分を持って行き、あわてて取りに戻る。バナナがうまい。パイナップルはなかった。
7時10分:カリラヤに向けてバスで出発。外は暑くない。過ごしやすい気温だ。雲はあるが晴れている。雨の降りそうな気配はないが、カリラヤは雨が降るかもしれないので雨具の用意をといわれる。
マニラ市内は車が多い。工場地帯を抜けて、高速道路を南に向けてひた走る。周辺、高層建物はほとんどない。兄貴は、車の走行音でマイクが聞こえないとつらそう。ガイドの高橋さんの説明が面白いのに残念だ。高速道路で100q以上で走っていると思われるが、隣を走っている車は、子供たちが乗っているというのにドアを開け放して走っている。8時丁度、料金ゲートを通過。E-pass、cash、couponと分かれているのは日本と同じだ。5分ほど走って一般道路に下りる。前方左手に山並みが見えるが、このあたり日本兵の捕虜収容所があり、山下大将もいたとのこと。モンテンルパの街が右手方向、今は犯罪者の刑務所になっているとか。
8時20分:トイレタイム。少し手前のガソリンスタンドの予定が、後続車がきてゆずったのはいいが、このガソリンスタンドには男女兼用で1ケしかないことが分かる。もう少し大きいところがあるからそこまで我慢といわれる。自分を含めて男の何人かは立ちションしちゃいました。
カリラヤの近く、米を作っているたんぼが沢山ある。米の品種改良の研究をしているとのこと。米は90日で収穫できる。

10時15分:カリラヤの丘到着。雨が降っている。かなりひどい降りだ。ポンチョに身を包んで徒歩5分位歩いて碑のある式典会場に到着。カリラヤの碑は日本政府が作った唯一の碑とのこと。
10時55分:雨が降り続く中、比島全戦没者合同慰霊祭が始まる。
・拝礼
・国歌斉唱
・黙祷
・追悼の辞
・献花
・献歌(ふるさと)
・拝礼
終わって、各県単位で記念撮影。その後個々に記念撮影する。
時たま激しいスコール、晴れていたかと思うと突然雲がかかり降り出したり、からりと晴れたりと目まぐるしい変化だ。献花の頃から晴れてきたが、今度は猛烈に暑い。

12時20分〜12時50分:バスに戻り、停車中のバスの中でお昼を食べる。全部の行事が終わった安心感で、帰りのバスはみんな居眠り。
14時45分:高速道路のサービスエリアで休憩。すごい数のトイレがあるが、みんなきれいに清掃されている。
15時30分〜16時25分:ショッピングセンターへお土産を買いに行く。彫り物の背中かき、ライター、たばこを買う。
16時50分:ホテルに戻る。
18時00分〜20時30分:ホテル宴会場で、バイキングの合同懇親会。沼津総団長の挨拶に続き、フィリピン大使館公使兼総領事の大嶋英一氏の挨拶、日本遺族会副会長の増天稔氏の挨拶と続く。フィリピンダンサーの余興に続き、各班の出し物で盛り上がった。D班は最初に出演、異国の丘合唱、兄貴の詩吟(九段の桜)、同期の桜合唱とやった。特に兄貴の詩吟は、演題もよく受けたようだった。その甲斐あって最優秀賞だった。
22時00分:寝る。
マニラ、ダイアモンド・ホテル泊

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