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トピックス

北陸海岸大縦走


2009/8/27 東尋坊

2009/8/28 永平寺

2009/8/29 天橋立

2009/8/29 天橋立

2009/8/29 伊根の舟屋
■2009年8月27日(木)晴れ時々曇り 能登金剛・東尋坊・山中温泉泊り。
7時17分:バス
7時45分:たまプラ発空港直行バス
8時40分:羽田空港着(第2ターミナル)
9時35分:羽田空港第2ターミナル2F出発ロビー 全日空(ANA)団体カウンター集合
搭乗手続きをしたところ、搭乗口まで20分もかかるといわれびっくりしたが、67番の搭乗口は一番外れで、手荷物検査を含めてたっぷり20分かかった。
10時15分:羽田空港発ANA747便
11時15分:能登空港着
フライトは快調で少し早目に着いた。能登でコンサートがあるとかで、五木ひろしとか歌手が何人か乗っていたとのことだったが気がつかなかった。
11時30分:能登空港発
ここで初めてツアー全員の顔合わせ。夫婦、親子は2人連れ。友達グループは2人〜9人連れといろいろで総勢33人、バスで出発。能登も気温31度あるとのことで暑い。
12時25分〜13時25分:お昼を食べて、能登金剛巌門見学
能登金剛センターでお昼。いしる鍋定食がお勧めとのことで、みんなこれを食べた。「いしる」は、古くから奥能登沿岸に伝わる魚醤(ぎょしょう)とのことで、中身は、イカ、なす、白菜などが入っていて1,000円と安くてうまかった。
一帯の海岸は日本海の荒波によって浸食されたもので、名称は朝鮮半島有数の景勝地、金剛山に因んで能登金剛。巌門は、波食によって形成された天然の洞門で、幅6m、高さ15m、奥行き60mにも及ぶ大規模なもの。ヤセの断崖は、標高35mもの垂直状の断崖絶壁で「ゼロの焦点」のロケ地ともなり記念碑が立っているとのこであったが、少しずつ崩れさらに地震で崩れて立ち入り禁止であった。
14時00分〜14時15分:千里浜なぎさドライブウェイ
石川県羽咋郡宝達志水町今浜から羽咋市千里浜町に至る延長約8kmの観光道路。日本で唯一、一般の自動車やバスでも、砂浜の波打ち際を走ることができる道路。粒子の細かい砂が海水を含んで固くしまるため走れるわけだが、会社からは海にあまり寄ってはいけないといわれているとのことであったが、波打ち際を走る方が安全とも、砂が乾いているとかえって走りにくい。ということで、海の中を走ってるような運転もあり、思わずみんなから拍手。遠浅の海岸はハマグリがとれる。足でグリグリしてとるとのこと。
千里浜を過ぎて少しして「猫の目」という交差点にであった。昔、家が二軒しかなく、あかりがともると猫の目のように見えたのでこの名がついたとのこと。その近くの看板に、ネズミ害虫駆除の広告が出ているのが面白かった。
15時頃:北陸自動車道・徳光PA
トイレ休憩。その後走行中、小松ICの手前あたりで松井秀樹の実家と、松井秀喜ベースボールミュージアムが見えたとのことであったが、居眠りしていて見なかった。おしかったなー。
16時05分〜17時10分:東尋坊
海食によってできた高さ25mの断崖絶壁、地名の由来は、乱暴あるいは恋愛関係で恨みを買って此処から突き落とされた平泉寺(勝山市)の僧の名前によっているとのことである。着いてすぐ、沖合に浮かぶ雄島(おしま)や、大池(おおいけ)と呼ばれる、高さ23メートルもある絶壁を遊覧船に乗って見学。雄島は江の島に似ている。橋は江の島をモデルにして作られたとのこと。周囲1qで人は住んでいない。
東尋坊へ着いたのが16時と遅かったせいもあるが、この観光地も寂れてきたか閉鎖している店が目立った。
18時15分:山中温泉 河鹿荘ロイヤルホテル(泊)
泊ったホテルは山中温泉のど真ん中、大聖寺川べりに建てられた大きなホテルであるが、フロントが5階、自分たちの部屋は1階と眺めはあまり良くなかった。
19時00分:夕食。日本海の素材を活かした北陸和会席。
食後、温泉街を散歩しようと出かけたが、山中温泉のど真ん中にしてはホテル周辺はさみしい。ただし、大聖寺川の渓谷(鶴仙渓)沿いの遊歩道散策、その他見どころはたくさんあるようで、あやとり橋まで行ったが、こおろぎ橋へ行くには暗くて無理なので戻る。
22時30分:寝る。

■2009年8月28日(金)曇り 永平寺・気比の松原・三方五湖・天橋立泊り。
5時00分:起床。
まだ薄暗い中、「あやとり橋」を渡って「こおろぎ橋」まで散歩。「こおろぎ橋」のいわれは、かつては行路が極めて危険であったため「行路危」の称を生じたといわれ、また一説には秋の夜に鳴くこおろぎにも由来するという、鶴仙渓の上流部にかかる風雅な総ひのき造りの橋。「こおろぎ橋」へは20分かかると言われていたので早めに出たが、渓流に沿った階段上り下りの遊歩道で、戻るに大変かと思ったが、商店街方向へ向かったところ、温泉の祖、長谷部神社を中心とする「ゆげ街道」と称するきれいな街並みに出会った。最後に「芭蕉の館」を外から見て戻る。
6時50分:バイキング朝食。
7時50分:ホテル出発。
8時35分〜9時50分:永平寺
今から約750年前の寛元2年(1244年)道元禅師によって開創された曹洞宗の大本山。境内は約10万坪、樹齢約700年といわれる老杉に囲まれた静寂なたたずまいの霊域に、七堂伽藍を中心に70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいる。
参道手前の土産物店にバスを止めて参道を歩いたが、成田山とか、明治神宮のように、お参りができる仏殿が外から分からない。お参りするには通用門から靴を脱いで上がらないとだめなようだ。最初に広間に集められ、雲水よりさしつかえなければ足を正座にし合掌といわれ、見学箇所の概要とカメラはお坊さんに向けてはいけない等、お参り心得を聞き順路に沿って見学する。現在、200名の人が修業に打ち込んでいるとのこと。
台所に当たる部分の廊下にすりこぎがかかっている。これに触ると料理が上達するとのことで触ってきた。祠堂殿にあった大きな大きな数珠、名物とか。ほぼ見学終わって帰るとき、ただいま僧堂で修業中につき通行禁止といわれる。そこを通らなければ帰れないわけで、いつまでもストップさせられるわけにいかず、誰か交渉したのか特別に許してもらった。帰路振り返って見たとき、僧堂から庫院の方向へ帰る修業僧の行列を見ることができた。 参拝記念に、瓦修復の志納金を照子と1,000円ずつ献金。みやげ物店で、印度翡翠入り黒檀の数珠を3,000円で買う。
11時5分〜11時20分:越前岬
11時頃越前海岸に出て北上。日本海は連日荒々しい波が打ち寄せるというが、今日はおだやか。越前岬で行き折り返す。越前岬には、大きな風穴が空いた門のようなアーチ状の奇岩・鳴鳥門があり、五木ひろしの歌の碑もあった。ここのレストハウスのトイレが素晴らしい。庭園付きの個室になっている。みんな用を足すのもそこそこに写真を撮った。ガイドさんいわく、大きなトイレで困ることは、ドアをたたかれても叩き返すことができない・・・。
12時30分〜12時40分:気比(けひ)の松原
江戸時代以来の景勝地で、約1.5kmの浜辺には約17,000本の赤松黒松が生い茂り、日本三大松原の一つである。
12時50分〜13時50分:日本海さかな街
日本海側最大級の魚市場。自由定食となり、味'S場(みつば)で、うに、いくら、ねぎとろの三種盛合わせ海鮮丼を食べる。1,850円と高かったがうまかった。雨がポツリポツリと降ってきたが、市場は屋根付きで全然濡れることなく行動できた。
14時30分〜15時10分:三方五湖
三方五湖レインボーラインを通って、ケーブルカーで山頂公園に上る。麓からケーブルカー、又はリフトで行くことができるようになっている。曇り空で日本海は分からなかったが、日向湖、久々子湖、菅湖、水月湖、三方湖五湖の展望はバッチリ。五木ひろしの歌碑、大きなカブトムシの彫刻、誓いの鍵と称した鍵が、所狭しとフェンスにかけられていた。
16時10分〜16時35分:若狭フィッシャーマンズワーフ
オバマで有名になった福井県小浜市、若狭フィッシャーマンズワーフには、日本海の味覚名産品が勢ぞろいしている。ここから観光船が出ており、蘇洞門めぐりができるようだが、トイレ休憩で寄ったのみ。
18時00分:宮津の湯らゆら温泉天橋立 宮津ロイヤルホテル(泊)
天橋立へは昭和38年頃、綱島町内会のおじさん、おばさん達に連れられてきたことがあり二回目。この時、橋の中央部分が90度回転する可動橋の近くに泊り、散歩がてら周辺を歩いたのを覚えていたので楽しみにしていたが、今回の宮津ロイヤルホテルは、天橋立からはかなり離れていて周辺に商店街もなし。6階であり眺望は悪くないが、天橋立は反対側になり見えない。エレベーターホールに出ると全体が見える。
夏休み最後の週末で、ホテルは混んでいると言われたが、風呂等それほど混雑は感じなかった。ただし、夕食のバイキングは二部制で19時30分からとなった。 19時30分:バイキングの夕食。
22時00分:寝る。

■2009年8月29日(土)曇り時々雨 天橋立・伊根の舟屋・経ヶ岬・出石。
5時00分:起床。
7時00分:バイキングの朝食。
8時15分:ホテルチェック出発。
昨夜は雨がだいぶ降ったようだ。今日もはっきりしない天気で、見学時は傘を持ち歩いた方がいいといわれる。
8時50分〜10時10分:天橋立
最初に籠(この)神社見学。
天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6kmの砂嘴である(地学上では砂州)。一帯には約8,000本の松林が生え、東側には白い砂浜が広がる。日本三景のひとつ、天に舞う架け橋のような絶景。松井物産のガイドに連れられてケーブルカーで傘松公園に上り、早速みんなそれぞれに「股のぞき」。傘松公園へは、麓の府中駅からケーブルカー、又はリフトで行くことができ、ケーブルカーで行き、リフトで降りてきた。見学終えてバスに戻ったころから、猛烈土砂降りの雨となった。バスに戻り遅れた人たちはずぶ濡れ。
10時35分〜10時55分:伊根の舟屋(いねのふなや)
「舟のガレージ」舟屋が湾沿いに多数立ち並ぶ伊根の舟屋。周囲5キロメートルの湾に沿って230軒あまりが立ち並ぶ。雨はすっかりあがって展望所からゆっくり見られた。
11時30分〜11時50分:経ヶ岬(きょうがみさき)
丹後半島の最先端。映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった白亜の灯台がある。周辺、熊が出没するとのことで、経ヶ岬灯台公園の駐車場から見る。駐車場には経ヶ岬公園案内所、レストハウス等があったようであるが、すっかり寂れて閉鎖されていた。
12時05分:丹後松島
日本三景のひとつ「松島」と似ているところから名づけられた「丹後松島」とのことであるが、バスの中からちょっと見えただけでした。この付近、野村楽天監督が通った峰山高校の通学路だという。丁度朝刊に、京都府京丹後市は28日までに、同市出身でプロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスの野村克也監督を名誉市民に選んだと出ていた。
13時30分〜15時30分:出石
但馬の小京都。皿そばが有名とのこと。わんこそばのように5枚のお皿に分けて出され、生卵とだしを合わせて食べる。5枚食べ、照子はもっと食べたいようだったが、満腹になるとこの後の見学がつらいのでセーブ。
見どころいっぱいの出石。最初に、荒廃していたお寺を1616年(元和2)に沢庵和尚が再興したことから沢庵寺とも呼ばれる宗鏡寺見学。庭の手入れが行き届いている。明治館、出石酒造の酒蔵、願成寺等見ながら、おりゅう灯籠まで歩く。鎌倉時代、悲恋物語の主人公「おりゅう」の名にちなんだもので、灯籠と横の柳の木で「おりゅう」と恋人が寄り添う様子が作られている。夜になると灯籠に灯りがともるという。
出石城跡、登城門、伊藤美術館、家老屋敷等も歩きながら外から見る。
18時05分:伊丹空港着
出石を出てしばらく走って、春日の局の出生地「春日IC」から舞鶴若狭自動車道に入り、中国自動車道を通って伊丹空港へ。西宮付近で少し渋滞に巻き込まれたがそれほどでなかった。
最後に、添乗員さんが三つの気を持って帰ってもらいたいと言われた。その三つとは、病気、短気、浮気。
帰りの航空券をもらって解散、展望レストランで夕食。
20時20分:伊丹空港発ANA40便
21時35分:羽田空港着
予定より20分も早く着いた。
21時40分:羽田空港発
22時35分:たまプラーザ着。

雨が心配されたが、全て予定通り見学できた。改めて思いだそうとしても、すぐに思い出せないくらい見どころのある旅であった。
バスの運転手は、11月になるとおじいちゃんになるという中林さん、ガイドは堂本さん、添乗員は山本さんでした。