「な・・・に・・・っ?」
「死なない、と言った。殺されても、死なない、ということだ」
「ば・・・っ、し、死・・・な、ない、だと・・・っ?!」
「そう」
「それは・・・っ、首を、刎ねられてもか?」
頷く彼に、おぞましいものを想像して眩暈がした。
「ああ・・・ただ、自分でも本当のところはよくわからない」
「は?」
「なんせ、今まで一度も首を刎ねられたことはないからな」
彼の顔に張り付いた不遜な笑みを見て、俺は目を見張り、そこから一気に脱力した。
では、先ほど何をもって信用する?と問うた時、自らの命を、と言ったのは、死なない命を懸けたのか?
なんと・・・!
人を食うにもほどがある!
どこもまでもふざけた奴め!
ところが、我ながら驚いた。
どうやら怒りの沸点を越えてしまったらしい。
怒りの震えは、腹の痙攣に変わった。
まあ、こうなっては、俺が怒鳴り散らしてもどうにもなるまい。
ともかくも、王は、納得したのだ。
「明日の会議には、あんたも出ろ」
「わかっている」
そんなことは言われるまでもない、といった風だ。
出るな、と言われても、しれっと現れるに違いない。
槍玉にあげられるのがわかっていても、彼には関係ないのだ。
死んでも死なない奴だからな・・・。
「・・・ふっ、楽しい会話だった」
「そうか、ならよかった」
話は終わりだ。
明日には明日の戦いが始まる。
俺はもちろん自分の領地に戻ることはせず、城内に留まった。
そして彼は、王の命により、俺にあてがわれている部屋よりも広く立派な賓客用の部屋へ通された。
予想通り、室内は、異様なざわつきに埋め尽くされていた。
この旅に一縷の望みを託していた者も、懐疑的だった者も、誰もが、少なからず俺と同じ期待を寄せていたのだ。
この結果を、そう簡単に受け入れられるわけがない。
「いったい・・・それは、どういうことですかな、ハシバ参謀」
今朝ここに集まった者の代表として、重鎮の大臣が当然の疑問を吐いた。
「・・・どういうこと、と、言われましても。こういうことです、としか言いようがない」
そしてこういうところが、俺の悪いところなのは重々承知している。
案の定、発言者の顔が変色した。
「ほう、では、“これ”が、“あの”旅の成果であると?」
彼を顎で示しながら、半ば嘲るように男は言った。
「そういうことですな」
「彼一人を加えて戦えば、勝てるというのか」
「そんな保証はどこにもない」
「な・・・っ!」
空気が固まってひび割れそうだ。
この中の何人かは、帰国した俺が、かの国を訪れた過去の者達と同じになったのではないかと疑っているに違いない。
「どなたも勘違いしておられるようだから改めて解説申し上げよう。そもそも、俺の発見した契約書には、“勝利”を約束する、などという文言は一字もない。【互いの窮地にあっては、相互にそれを支援する】、とあるだけだ。この意味はおわかりかな?子供でも理解できると思うが」
「―――
っ!」
口を動かしながら、俺は、自分を省みていた。
そうだ、俺もある意味こいつ等と同じことを考えていた。
【支援する】
何をもって【支援】とするのか、明確な記述はどこにもなかった。
規模も中身も、一切定義されていない。
であれば、その【支援】が、例え彼一人だとしても、文句は言えないのだ。
あんな曖昧な契約を結んだのがいけない、そういうことだ。
誰が作ったのかは知らないが、それこそ子供の手紙レベルじゃないか。
それなのに・・・、俺自身、あんなものを携えただけで、よくもまあのこのことあそこまで赴いたものだ。
俺としたことが、あれを見つけたことで有頂天になっていたのかもしれない。
それが今は、こいつらに、さも偉そうにぶっている。
恥知らずもいいとこだな・・・。
“あんた”にはさぞかし滑稽に映っていることだろう。
室内には怒りの渦が巻いている。
「ハシバ」
王の声が、場を制した。
全員が、はっと顔をあげ、口を閉じ。
長大なテーブルの最奥から、興奮し立ち上がっていた者達へ、身振りで着席を促す。
椅子を引き摺る音がした後は、何の音もしない。
“あんた”は先ほどからずっと、俺の後ろの壁際の椅子に座り、静観を決め込んでいた。
クソジジイ共からの集中砲火を浴びまいと、すっかり気配を消している彼は、一応顔を見せてはいるが、身に着けている物はいつも通りで、フードを目深めに被り、俯き加減でいるため、その表情を窺い知ることはできない。
彼の姿をはっきり見たら、あいつらは更に驚き、動揺するだろう。
女か、ガキを連れてきたと。
静寂を取り戻した室内に、再び我らが唯一の声が響く。
「俺は・・・、かの国を、かの地の長の言葉を、信じる」
お前達は、自らの王の信ずるものについてこい、ということだ。
だが、王とても、全ての人心を掌握しているわけではない。
「その根拠はどこにあるのですかな、王よ」
「昨晩、長からの親書を受け取った」
室内のざわめきは、湧き上がりすぐに治まった。
「そしてその内容を、俺は、信ずるに足ると判じた」
威厳ある言の葉と、力強い視線に、ほとんどの者は、納得とまではいかないものの、王の信ずるものならば信じよう、という気にはなったようだった。
そこが、彼の、先代とは大きく違うところだろう。
しかしまだ、数人は顔を見合わせている。
王までもが、その親書とやらによって、かの国のまやかしに嵌ったのではと、訝っている。
その思いも、わからないではない。
「では、王は、長からの支援はあの者一人で十分と?」
「そうだ」
「しかし、兵達は納得しないでしょう」
王の後を引き継いだ、この俺の突然の発言に、一斉に視線が集まった。
「納得しないどころか、落胆し、士気はこれまでになく下がるだろう」
これで俺が長に毒されていないことは伝わった。
「いかんせん、俺ですら、いまだ王のように信じきれていないのだからな」
「ハシバ殿っ、言が過ぎるぞっ」
「いい、構わん。で?ハシバ、お前はどうすれば納得する?」
「それは・・・この者に証明してもらう他ないでしょう」
「証明?」
「そうです」
「それは・・・どのように・・・?」
「先ほど報告申し上げたとおり、この者曰く、彼には100万の兵力が宿り、そのうえ不死身らしい」
俺の話の先を読み、蒼白になる大臣たち。
王ですら、顔を顰めた。
“あんた”よ・・・、お前は『いずれわかる』と言ったな?
ならば、その『いずれ』の機会を、俺が作ってやろう。
こいつが俺に、簡単にやられるとは思わなかった。
だが、
「立て」
俺は彼の正面に立った。
彼は無言で従った。
「その鎧を外してもらおう」
マントの下、きつく結われている肩と腰の紐をさらりと解き、床に置いた。
見た目にそぐわぬ重い音が響いた。
いくつかの唾を飲み込む音が重なる。
俺は長剣を抜き、彼を押し退けると、“あんた”が今しがたまで腰掛けていた木椅子の座面の真ん中を突き刺した。
刃先は、床にまで達し、石を削った。
「長の使わした貴殿に、このようなことを申し訳ないと思うが・・・」
そして、足を掛け椅子から引き抜くと同時に、傍らに立つ彼の肩を掴み、
「御免」
心の臓を、ひと突きした。
短い悲鳴と、罵声が上がり、静まった。
良く砥がれた俺の長剣は、彼のマントの形を変えた。
手ごたえはあった。
慣れた感触だ。
彼の肩から垂れたマントを捲り、貫いた箇所をこの場の全員に知らしめた。
血は出ていない。
彼は一言も発しない。
目を閉じ俯いている。
鼓動は・・・感じない。
さすがの俺にも緊張が走った。
「―――っく!」
深く刺した剣を引き抜いた。
傷口と刃から赤い・・・
場が地鳴りのようなどよめきに埋め尽くされた。
これが驚かずにいられようか!
彼の体から血が流れることはなかった。
これはなんだっ!?
水−−−?
いや、違う。
滴り落ちたその透明な液体は、彼の足元でぽたぽたと音を立てることもなく、床に着くと瞬く間に消えてなくなった。
そうして、俺たちが呆気に摂られている間に、傷は塞がり、彼は跪くことなく、立ち続けていた。
・・・これで、証明はできたか?・・・
あちこちから叫び声があがった。
「・・・ぅっ・・・!」
王も、頭に手をやり、息の呑んで目を見張った。
「・・・いや、まだだ。確かにこれで、貴殿が不死身であることには得心した。だが、それが100万の兵に値すると言われる所以なのか?」
・・・違う・・・
「す・・・っすまぬが、もし、口で話せるのならば、そうしていただけぬであろうか・・・っ」
戦場を知らぬ、金の亡者が、諂(へつら)うような笑顔に涙を浮かべて懇願した。
彼は、そちらを一瞥した。
「失礼した」
ほぅ・・・と、一同の安堵の息がひと段落し、俺は続けた。
「ではそれで、もう一つのほうの証明は可能か」
「・・・そうだな・・・・・・」
30名ほどが集う室内をぐるりと見回した後、俺の顔を見つつ、先ほどの守銭奴を指差した。
「その剣で、かの御仁を切ってみるがいい」
「―――っ!はっ?」
まったく不本意ながら、同時に同じ声を発してしまった。
だが慌てたのは、俺よりも、クソ野郎のほうだった。
椅子を倒して、机を叩いた。
「ままままま待ってくれっ!!わっ、わたしは、ああああなたとは違う!血は赤いし、きっ切られれば、ししっ死んでしまうっっ」
「心配することはない」
「なっ!そっそんな、無茶苦茶な!」
この男のために動こうとする者はいなかった。
彼は、俺に向かって頷き、小声で言った。
「切ってもいいし、貫いてもいい」
ただ、小さくした意味はなかった。
「ひぃいいいっ!」
「・・・・・・・・・」
王と俺は同時に互いを見た。
「いかがされますか」
「そうだな・・・、俺は今、ひとつの奇跡を見た。とすれば、そもそも長の言を信ずると宣言した俺の意見は自ずと決まってくる」
「わかりました」
「なっ、なんと!そんな馬鹿なっ!!やっ、やめてください!」
すると、“あんた”はテーブルを回り込み、奴の後ろに立つと、その首根っこを片手で押さえ、耳元で何かを呟いた。
途端に、奴の震えは止まった。
俺は、大股に歩いて彼の後を追い、男の正面で剣を構え、ふっとひとつ息を吐き、相手の左肩から斜め下に切り裂いた。
狂ったような男の叫びが轟いた。
彼が手を放すと、がくりと膝を突き。
口からは涎が垂れ、足元には恐怖と混乱による粗相の染みが広がった。
男の啜り泣きと荒い息遣いが、際立つ。
死んではいない証拠だ。
俺の剣がいきなりなまくらになったということか?
いや、それでは、敵を叩けない。
これはいったい・・・
と、男がむくりと立ち上がった。
顔色は悪くない。
それどころか、憑き物が落ちたように、すっきりとし表情をしている。
「奴は・・・」
そしてある大臣を指して徐にしゃべりだした。
「陛下、お聴きください。あの者は、裏切り者です・・・」
60近い目が、王の手前、古参の大臣に向けられた。
「貴様・・・っ、いったい何を・・・!」
しゃがれた声には怒気が含まれている。
「内通者なのです」
そこから男は、滔々と語りだした。
裏切りの連鎖を。
そして最後に、再度跪き、懺悔し、這い蹲って王の裾を掴み泣きながら許しを請うた。
まるで突然に始まった三文芝居でも見ている気分だったが、そうではない。
“あんた”の意図を汲んだ俺は、次にその座ったままの老人の首を後ろから切り裂いた。
男の口からは、驚くほどの情報が齎された。
これまで疑いながらも、どうにも掴めなかった尻尾も含めて。
全てを聴き終え、俺は彼に向き直った。
「それで、これは、どういうことなのか。知り得た情報は有益だが、これをすぐに戦況の変化へ繋げることは、残念ながら無理だろう。兵士100万とどういう関係が?我々に残された時間は決して多くない」
おおよその見当はついていたが、あえて訊ねた。
彼は、全体を見回した。
「自分の血・・・、まあこの際、血と呼ばせてもらうが、この血を浴びた剣で敵を切ると、その者はこちらの側の者になる」
「つまり、今のこれが、もし兵士ならば、敵であっても死ぬことはなく、切れば切るほどに味方が増える。そういうことか?」
「そうだ」
「誤って味方同士で切りあってしまった場合は?」
「何も起こらない」
「傷もつかぬと?」
「ああ」
痛いほどだった空間に、感嘆の声と溜息が広がった。
「ただし、寝返った敵、切られて味方になった者の持つ、この血のつかぬ剣で切られた者は、その対象ではない。あくまでも、この血のついた剣で切ることが条件だ」
「では、敵にその剣を取られた場合は?」
「二人目の持ち主に効力は引き継がれない」
「それは味方同士でも?」
「そういうことだ」
「ふん・・・」
「それはやむを得んな」
きっぱりと言いきった王に、俺は頷いた。
「だが、俺のこの剣1本ではどうにもならん」
「そればかりは、増やすしかない」
「して、この効力はいつまでもつ?」
「ふた月」
「・・・最後にもうひとつ」
「なんだ」
「切られた者は死なぬと言ったが、まさかそいつがそのまま不死身になるなどということはあるまいな」
「ない。その者としての寿命を全うするだけだ」
そうして、作戦が練られた。
ここ暫く、前線での動きは小康状態が続いていた。
それは、敵がいよいよ総力を結集し、決戦へと向かおうとしているとの意味を表している。
つまり、最後の戦いは間近に迫っているということだ。
疲弊しきったこの国を、このまま一気に押し潰すために。
俺たちはすぐさま行動に移った。
出来得る限り、この脅威の剣を増やすのだ。
先ずは、城にある全ての武器に彼の血を与えた。
そこからはとにかくスピード勝負だ。
戦は止まっているわけではない。
小康状態とはいえ、日々戦死者は増え続け、この地を、家族を、愛するものを守るために、剣を振るっている者たちがいる。
彼の血は、すぐに蒸発してしまう。
容器に密閉することも試みたがだめだった。
だから、どうしても、本人が赴いて、事を成さねばならず。
先触れを飛ばしつつ、各戦地への説得のため、俺が彼に同行することになった。
少数の精鋭を引き攣れ馬を駆り、陣地から陣地へと俺たちは駆け巡った。
彼は何度も自らを傷つけた。
場所は、掌や手首だった。
血を滴らせやすい箇所だ。
その辺の構造は、普通の人と変わりないということらしい。
「なんだ、その顔は」
集められた武器に、透明の液体を搾り出しながら、俺を見て彼が言った。
本人はいたって平然としているが、見ているほうとしては、出てくるものが赤くなくとも、やはり気持ちのいいものではない。
敵ならば、数え切れないほどに、倒してきたにもかかわらず。
「別に・・・何でもない」
何故だろう。
彼が自らを傷つける旅、胸がざわつき、居た堪れなくなる。
彼は何故、この国に使わされたのか。
何故、彼でなければならなかったのか。
彼はこの使命をどう思っているのだろうか。
「・・・ふっ、可笑しな奴だな」
どうしてこうも彼は・・・
完璧、などということは、この世には存在しない。
この作戦も然りだ。
前哨基地を点々としている斥候隊には、接触することも難しく、一方大部隊も、全将兵分の武器に血を分けることは、実質不可能だ。
また、俺が不在の間に、前線がかなり伸び、扇型が広がりきっているような陣形で、補給隊も分断されている箇所が少なくなかった。
裏切り者のせいで、俺が旅に出る前に残していった、作戦書が、一部すりかえられていたためだった。
現状を知り、言いようのない危機感が俺の胃の腑に競りあがってきた。
それでも、今、出来得ることを、するしかない。
最初思っていた以上にふた月は短かく、それしかもたない効力と、まだ3分の1ほどが残っている現実に、焦りが出始めていた。
俺は伝令によって、彼と別れ、帰城した。
駆けずり回って15日経過した頃だった。
既に噂は広まり、俺の解説も必要ないとの判断を下し。
彼はたった二人を引き攣れ、次の野営地へと向かった。
決戦は、こちらの都合とは関係なく、訪れた。
というよりも、想定よりも早く動いてきた。
城に戻り、集めた情報を精査検証し三日。
複数の早駆けが新たな知らせを持ち帰った。
各地に結集していた敵の部隊は、なんと、そのほぼ全てが中央に固まったというのだ。
奴等は、正面突破でこの本丸に雪崩れ込み、一気にかたをつけるつもりらしい。
最初の一団がこちらの正面に位置する前線と衝突するまでにはもう、一日とない距離にまで迫っていた。
何かに急き立てられているような、猛烈な速さだ。
もしかしたら、こちらの秘策を耳にし、敵方も焦ったのかもしれない。
万全とはいえなくとも、それでも確かに風向きが変わったと感じた。
敵の大軍勢は、まるで真っ黒な波だった。
上空からであれば、地面を覆いつくす蟻の大群のように見えたことだろう。
戦場はいつでも混乱の地獄だ。
いくら、かの血を吸った剣を持っていたとしても、こちらが先にやられてしまえば、効力を発揮することはできない。
それこそまさに、宝の持ち腐れってやつだ。
圧倒的な数で押してくる、敵兵を、とにかく片っ端から切っていかなくてはならない。
その点は、いつも通り、いつもの戦いと同じだ。
殺られる前に殺れ。
恐怖を雄叫びに変え、自分の命と、護るべきものたちの盾となり鉾となる。
だが、この決戦においては、明らかに違う点もあった。
敵の死体が少ない。
理由は言うまでもない。
だが、まだ足りなかった。
寝返った者共を含めても、まだ、押されている。
中央突破に向け我武者羅に突っ込んでくる敵。
王の居城からも、まだ遠くはあるものの、立ち昇る土煙が見えた。
両翼の自軍の到着にはまだ時間がかかる。
そうだ、勘違いをしてはいけない。
我々は『勝利を約束されたわけではない』のだ。
「我が君・・・」
城下の民は、既に避難を完了していたが、それでも、ここまで攻め込まれるわけにはいかない。
我らの後ろには、守るべき者たちがいる。
本来なら、王自ら先陣を切って、突撃したいところだろう。
しかし、彼は、最後の砦だ。
いくら腕に覚えがあろうとも、今この時ばかりは耐えてもらうしかない。
これ以上ないほどの苦悩をその横顔に滲ませ、彼は言った。
「トーマ、頼む」
一礼した俺は、室外で待機していた自分の側近に頷き、階下へ急いだ。
既に準備されていた馬に跨り、100騎の精鋭と共に、最後の戦いの場へと乗り込んでいった。
この場では作戦もなにもない。
あるのは、退くか進むか。
あとは、目の前に迫る黒い敵に、手に持つ剣を振り下し突き立てるだけだ。
俺は、とうに馬を降りていた。
体の一部を失い悶え苦しむ仲間を下げさせ、斧の下を掻い潜り、喉元に剣を刺す。
相手は、叫び声を上げこそすれ、次にはもう立ち上がり、猛然とつい今しがたまで、味方だった者に切りかかってゆく。
異様な光景だった。
そして、腹立たしくもあった。
無性に腹が立って仕方なかった。
敵に傷つけられれば、味方は負傷もするし、死ぬ。
なのに、こちらの武器では、いくら切っても、奴等には痕ひとつ残らない。
死人は減り、味方は増える。
しかし・・・っ
「くっそぉ・・・っ!」
太陽はまだ傾き始めたばかりだ。
なんと長い一日なことか。
兵達も、尋常でない状況に、動揺が勝ってしまっている。
不味いな・・・
蟻共の進軍に反撃が追いつかない。
このままでは・・・飲み込まれる・・・っ!
早く終われ!早く終われ!
もううんざりだ!
その瞬間、偶然、敵の肘が米神に当たった。
一瞬、目の前が白とも黒ともつかない色に塗りつぶされた。
こういう場合、しまった、と思った時にはもう遅い。
怒号とともに、半月刀が真横から飛んできた。
あのデカさじゃ、俺の胴体は真っ二つだ・・・
部下たちの俺の名を呼ぶ声が微かに聞こえる。
死ぬ間際の痛みとはどんなものなのだろうか・・・
ふっと辺りが静かになる。
終わりなんてこんなものだ。
そう。
“あんた”は死なないが、俺は死ぬのだ。
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