Regain  〜 W 〜


「どうした、随分と手間取っているな」


―――っ!?」


胴が切り裂かれているのは、俺ではなかった。


地鳴りを立てて崩折れた男の横に、ひらりと舞い降りた“あんた”は、何も変わっていなかった。

こいつの馬には羽でも生えているのか?!
俺と別れた時には、最東端に向かっていくところだったはずだ。

「お、ま・・・っ!?」

「“あんた”」

あの口元を覆ったマフラーの下で、ニヤリと笑みを浮かべているに違いない。

「東の端には、面白い奴がいた」
俺に礼すら言わせず、次々と敵に傷をつけながら、話し始めた。

阿鼻叫喚渦巻く中で、不思議と彼の声は、俺に届いた。
思念でもないのに。
まるで、かの国を二人きりで歩いているように。

「東の・・・」

東端には確か・・・そうか、あいつだったな。
自ら進んで激戦地に行きたがる奴なんて、あいつしかない。

あいつが率いる一団は、我が軍の中でも奇人部隊と呼ばれている。
敵は、奴を中央に戻さないために、他よりも、多くの兵を東に残していた。
足止めは成功していただろうが、損害も大きかったはずだ。

そこへ彼が来た。

「着いた時には、こちらの数も相当だったから、喜ばれた」

なるほど、途中で増やした援軍を連れて行ったのか。

「あっという間だった」
「は?」

訊き返しながら、うっかり深く刺さりすぎた剣を、敵の肩に足をかけ、引き抜く。

「敵は逃げた」

そうか、あちらは予想以上に楽勝だった、ってことか。
一枚岩でないあちらさんの弱さが出たのだ。
他の部隊はどんどん中央へ結集しているのに、自分たちだけは留まり、この奇人部隊を相手にしなくてはならない。
疎外感、理不尽さ、恐怖、そして・・・戦意喪失。

「あいつは、俺の指示通りに動いていたか?」
「ああ。上手くいってれば、もうこっちに向かってる」
「そう・・・っ、かっ」

また一人なぎ倒し、前に進む。

頼む、間に合ってくれ!

だがしかし・・・、あーっ、くっそっ!
本当にきりがない。
どこかからか、湧いて出てきているみたいだ。

それでも敵にとっての裏切り者は、確実に増えている。

だが、まだだ。

重くなり始めた腕を叱咤しつつ、一人また一人と味方につけてゆく。

この方法はやはりまどろっこしい。
そういや、この寝返り野郎共は、こちら側の、どの指揮系統に属して、元味方に切りかかってるんだ?

そんなことを考え始めた瞬間、ドン、と背中に誰かがぶつかってきた。

「悪い」

彼だ。

「いや」

背中合わせになりながら、彼は槍を薙ぎ払い、俺は鉈みたいな剣を押し退けた。

「シンだ」
「ああっ?」

「名前だよ、僕の」
「ええっ?」

僕!?
今、あいつ、自分のことを、『僕』って言ったか?!
いやっ、いやいや、それよりも、名前だ!

何故、今?!

二人同時に相手を蹴り倒し、前後を入れ替える。

一瞬彼の顔が見えた。
フードは後ろに外れ、マフラーも顎まで落ちていて、長い髪がなびいていた。
その口元は綻びている。

そして、互いに視線を捕え合い、引き剥がした。

“シン”

か・・・

なるほど、いい名だ。

理由はないが、彼に似つかわしい名だと思った。

す・・・と、視界が開けたような、不思議な感覚に包まれた。
俺の顔でも右の口角が上がっていたことには、気付かなかった。

しかしそこからはまた、次から次へと奇声を上げ突進してくる敵に応戦することに集中せざるを得なくなり。
視線を上げると、栗色の髪は、土埃の合間に、ちらちらと見えるだけになっていた。


それから更に何時間奮戦しただろう。


東の方角から、仲間達の地を砕くような歓声と咆哮が聞こえてきた。
それとほぼ同時に、敵の狼狽が伝播し始めた。
敵陣のあちらこちらから、割れたような喇叭の音が鳴り始めた。

群れの合間に、俺は彼を見、彼は俺を見た。

彼による奇跡と、俺のたてた策。

つける傷は、針の一刺しでもいい。
寝首を掛れるのを恐れ、広大な領地内を常に異動し、ごく一部の者にしか所在を明らかにしい敵の王やその側近たち。
奴等にコンタクトを摂るのは容易なことではない。

だが、上手くいった。
ぎりぎりだったが、どうにかなった。

敵共は、支離滅裂に敗走を開始し、俺たちは一斉に退いた。

「弓隊、前へーーーっ!」

あとは、卑怯かもしれないが、残る敵の背を狙えばいい。

「今だ!ぅてぇえーーーっっ!」

あらかじめ指示しておいた、各弓隊隊長の号が続いた。
定石では、最前列に置く部隊を、今またここで使うのはそのためだった。



終わりは近い。



終戦和議の交渉は速やか且つ滞りなく進み、締結された。

疲弊した国民も、漸く前を向く気力を取り戻しつつある。
今はまだ荒れた田畑に、芽が吹いて、青々とそしてまた黄金色にたなびく日を夢見ることができる。

かの国の田園風景が、脳裏に蘇った。

心地よい疲れが、指先まで満ちている。


朝から続いた会議から引き上げ、王の間の前を過ぎようとしたとき、内側から扉が開いた。

フードをあげながら出てきたのは、“シン”だった。
討伐の成果に見通しが立つまで、といことで彼には、まだ協力してもらっていたのだ。
だが、その作戦もほどなく完了する。
おそらく、我が王に挨拶でもしていたのだろう。

「・・・久しぶりだな。・・・帰るのか」

「ああ。ここに残る理由は、もうないからな」

言うとおりだ。
彼は、契約に基づいた役目を追え、またあの平穏な土地の、お美しい長の下で、俺たちとは違う世界で、生きてゆくのだ。

「そうだな・・・」

息を吸ったきり、言葉は出てこなかった。
何か言ったほうがいいような気がするのに、何を言ったらいいのかわからない。
ぎこちない空気が肌を舐める。
この胸のざわつきに戸惑った。

静寂を破ったのは彼だ。

「・・・・・・あんた、」
「なんだ?」

「・・・いや・・・、あんたって、頭がいいのか、悪いのか、よくわからないな」
「はあ?」

「じゃあ、早死にするなよ」
「なんだ、その挨拶は・・・」

彼の笑みは、そよ風にも吹き飛ばされそうに見えた。

握手もせずに背を向け、流れるように遠ざかる後姿を、突き当たりの廊下の角を曲がるまで見送り、踵を返してなんだか急に重くなった足を踏み出したとき・・・


唐突に気付いた。


彼はこれから厩舎へ行き、あの飛ぶように早い馬に乗って、帰る。


本当だ。

俺は、天才だが、馬鹿だ・・・!

理由など、作ればいい。


俺は振り返り、駆け出した。

どうして、かの地で俺には、彼しか見えなかった?
もしかして・・・
彼は彼の見せたいものだけを、見せていた?
まさか・・・!
彼は最初から・・・俺・・・を・・・?
そんな都合のいいことが?
では何故、あんな素っ気無い態度をとりつづけた?
―――試していたのか?
俺を?
それとも・・・
己を?
どうして戦いの最中に彼は名乗った?
俺を認めたのか?
それは何だ?
何かを決心したのか?
いったい何をだ!
あああっ、畜生!
そんなこと、どうでもいいじゃないかっ!
だったらなんだっていうんだ!

少なくとも俺は
―――

俺は―――

あの混乱の中、彼の声だけはっきり聞こえた。
目を瞑ると彼の姿ばかりが浮かぶ。
彼の微笑は、俺を苦しくする。

だとすれば・・・

答えはもう出ているじゃないか!

でも、俺の命は有限だが、あいつは無限なんだぞ?
いいのか?それでも。

という脳内の警告は無視することにした。



なんて足の速い奴なんだ!

厩舎に行くと、彼は既に発ったと言われた。
俺の馬房には、かの国で与えられ、先の戦の最中に行方知れずとなっていた馬が繋がれ、嘶きながらしきりに前足で地面をかいていた。
俺はそいつに跨ると、猛然と彼を追いかけた。
馬はまるで俺の想いを察するかのごとく、風のように駆けた。
しかし、城下に下りても、彼の背は見つからない。

嘘だろう?!

気付けば、城外と隔てる壁がもう目の前で。
俺の怒声に、番人が慌てて門を開けた。

逃がすものか!
あの国へは帰さん!

そうだ、あそこに帰してしまったら、たぶん二度と会うことは適わない。
例え何度あそこに足を運ぼうとも、おそらくは、もう二度と・・・。

嗚呼、真っ直ぐに見つめてくるあの一組の大きな瞳!


風に身を切られながら、泣き叫びたくなった。


涙に濡れているんじゃないかと淡い期待を抱いていた茶色の双眸。
だがそれは、俺の独りよがりな願望もいいとこだった。

彼はまるで、愉しむかのように、俺の追跡を掻い潜った。
俺が後ろについたと気付き、彼はいったん速度を落とした。
しかし横に並ぼうとするとまた、差を広げた。

なんだ?!
何がしたいんだ、あいつは!
まだ俺を試すのか?

俺は苛立った。

満月が煌々と光り、天空は星に埋め尽くされている。

辺りはは明るく、駆け慣れた道ではあるし、この馬たちは確かによく走る。
だが、それでも会議で疲れた後で、このまま朝まで追いかけっこなんてのはご免だ。

「おいっ!」

振り向きもしない。

怒っているのか?
俺が鈍かったから?

「おい!こらっ!」

・・・目上に向かって『おいこら』はないだろう・・・

「うぁっ」

こんな時に思念を使うとは・・・!
そう内心で文句をたれながら、目上ってことはじゃあ、彼は何歳なんだ?とも、考えていた。
いや、でも今はとりあえず、そのことは置いておこう。
こいつを捕まえたら、後でゆっくり訊けばいい。

「・・・っ、待て!」
「・・・・・・・・・」

「おいっ!」
「・・・・・・・・・」

「おいっ、お前!」
「・・・・・・・・・」

「おま・・・っ、待てと言っているだろう!!」
「・・・・・・・・・」

くっそう!


「おい!行くな、シン!!シ、
―――っ!うぉあっ!!」


彼が急に方向転換したため、危うく激突するところだった。

いや・・・、賢い馬たちだ、手綱を放していたとしてもそうはならなかったろうが。
それでも、前足を振り上げた背から、危うく落ちかけた。

「呼んだか?」

おいおい、『呼んだか?』じゃないだろうっ、この野郎〜っ
こっちは、お前みたいに疲れ知らずの不死身じゃないんだ。

俺は、ぜいぜいと息を切らせていた。

「おっ・・・まえ、なぁ・・・っ」

その場で足踏みをした馬がぶるぶる言って嗤った。

まったく・・・どいつもこいつも・・・・・・

お前も・・・
俺も・・・

どうかしてる。

ここまできたら、城へ戻るよりも、俺の領地へ向かった方が早い。

「どうした?僕が何か忘れ物でも?」

「は?忘れ・・・?ぁ・・・い、い、や、そうだ、忘れ物が、ある」

「ふーん・・・それで?その忘れ物とやらは?」

ここに乗せてみろと言わんばかりに、皮手袋の掌を差し出す。

くそぉ、見てろ!

「俺の・・・屋敷だ」

言って馬の腹を軽く蹴った。
何も言わず手を引っ込め、彼も後ろに続いた。
聞こえた小さな溜息は聴こえないふりをした。



屋敷には、俺が不在の間の管理をするために、最低限の人員が置かれていた。
突然の真夜中の主の帰りに、彼らは一様に驚いたが、喜んでもくれた。
懐かしい顔だ。
だが、俺は、ひとつ頷くと、挨拶もそこそこに、彼の紹介もせずに、人払いを命じ、彼の腕をひっ掴んで、足早に自室へと向かった。
彼は大人しくついてきた。

控えの間から部屋へと、立て続けにドアを開け、彼を放り入れる。
乱暴に扱われたドアは、それでも静かに閉まった。

「・・・まったく・・・乱暴だな」
「あんたが余計な手間をかけさせるからだろう」

「・・・・・・・・・」
「・・・シンが」

「いい気分転換になっただろ?」
「ったく、とんだひねくれ者だ」

「はっ、それはあんたも同じ・・・
―――っ」
「トーマ、だ・・・」

続く台詞は言わせなかった。
俺は、この小五月蝿い口を黙らせた。
自らのそれでもって。

「・・・んっふっ、なっ・・・言ってること・・・と、やってるこ、と、が・・・っ」
「ああ、そうだな」

言葉を紡ぐたびに、触れたままの唇が震える。

「んっんぅーっ」

俺は片手で彼を抱いたまま、もう一方の手で、ベッドのかけ布を乱暴に剥ぎ取った。
体重をかけると、彼は呆気なくその上に倒れこみ、スプリングが二人分の体重を受け、軋んだ。
両の手首を押さえつけ彼に跨り訊ねた。

「その髪はどうした」

林を抜ける小川の如く緩くウェーブがかった甘栗色の柔らかなそれは、王の下で目にしたときには、腰に届くほどだったはずだ。
それが今や、耳の下ほどの長さになっていた。
しかもその毛先は酷くばらばらで。

「邪魔だったから切った」
「・・・なんと・・・。見かけによらず、荒っぽい奴だ」

「ふっ・・・見かけ?」
「なんだ?」
「ふふふっ」
「なんだ、気持ち悪いな」
「・・・トーマに、・・・僕はどう見える?」
「え?」
「君が見ているものは、僕の見せてる“まやかし”かもしれないだろう?」
「!」
「だろ?」
「ふむ・・・なるほど・・・」
「もしかしたら、しわしわのジジイかもしれないし、それどころか、ぐっちゃぐちゃに腐った死体かもしれない」
「そうか、そうだな・・・、確かにそうかもしれん。・・・だが・・・」

「・・・だが?」


「だがそれでも・・・・・・俺は、お前を、愛さずにはいられないだろう」


色白の肌が燃えた。

本気で驚いた表情の彼を見たのは、これが初めてだった。

いや、それよりも・・・

「お、まえ・・・っ!」

彼も俺も息を呑んだ。

そうだ、こんなことは今までなかった。


彼の

“顔色”

が、

“変わる”

なんて!


俺は、枕の下に隠しておいた短剣を探り出し、鞘を投げ捨てると、彼の手をとり、掌に刃を走らせた。

「・・・いっっ、つぅ・・・っ」
「いた、い?・・・痛い、のか?まさかっ・・・」

見れば、傷口から肘に向かって垂れているそれは・・・





「こ・・・これ、は・・・っ、どう、いう・・・」

彼は口を引き結び答えなかったが、瞳は潤み、赤い顔が益々赤くなった。

まさか、とは思うが、もしかして、これは、そういうことなのだろうか・・・。
こんなことは、御伽噺の中でしかおきないことだと思っていた。

「・・・すまん」

シーツの端を切り裂き、手に巻きつけた。

「っ・・・たっ」
「悪い」
「不器用な奴・・・」

眉間に皺を寄せ、頬を膨らませながらも、彼はその傷ついた手を伸ばし俺の額を撫でた。

じっと、真っ直ぐに見あげてくる目。


ああ・・・これだ、この目だ。


俺の頬も熱くなった。



そうして俺たちはベッドに沈み、体を絡めた。



俺は了解もとらずに彼に押し入った。
こんなに、燃えたのはいつ以来だろう。
遥か遠い昔のことように思えた。

明けの明星が瞬きだした頃、とうとう彼は音を上げ、気を失うように眠りに落ちた。
最初の抵抗はたぶん見せかけだが、零れた涙は塩辛かった。
それでも、こんなに幸福そうな寝顔をした人を、俺は見たことがない。
絡めた彼の髪は、創造したとおりの触り心地だった。
今は少しばかり湿っている。


「あんた・・・初めから、俺のもんだったんだな・・・」

「・・・・・・だ、から・・・、シ・・・ン、だ・・・って・・・」


窓の向こう、白み始めた空。


今日からまた、新しい時代が始まる。
 



END
 

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