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∈近江□□□□□□□□□□□□□□□□□□□∋ |
⊂政治史⊃
(奈良時代) |
◇近江京に遷都 <667> |
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□近江京
□大津宮
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◇中臣鎌足が山階寺(興福寺)を創建 <669>
◇美濃に不破関を設置 <673> |
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□山階寺(やましなでら):藤原鎌足の邸宅、陶原館(すえはらやかた)はその後、仏寺とされ、「山階精舎(やましなしょうじゃ)」「山階寺(やましなでら)」と呼ばれ、藤原氏の氏寺である奈良・興福寺(こうふくじ)の前身となる。
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◇天武天皇が皇后病気平癒誓願のため
薬師寺建立を発願 <680> |
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□薬師寺(やくしじ)
:奈良市西ノ京にある法相宗の大本山で、天武天皇が皇后の病気平癒のため発願建立した。
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◇伊勢神宮の式年遷宮制を定める <685>
(20年毎の造替)
◇美濃に不破関を設置 <673>
◇逢坂山に関を設置 <679>
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◇大和国の藤原京に遷都 <694>
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⊂文化史⊃
(天平文化) |
∈□□□□□□□□□□□□□□□□□□□史紀∋ |
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⇒山科は、古代の豪族で、その後長く朝廷で権勢を維持した藤原氏の祖、中臣鎌子(なかとみのかまこ)(藤原鎌足・ふじわらのかまたり)が館を構え、本拠とした地である。鎌足は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らとともに、蘇我入鹿(そがのいるか)を誅殺(ちゅうさつ)。飛鳥(あすか)の朝廷で勢力を伸ばしていった。そして、大化の改新を成し遂げた中大兄皇子は、都を飛鳥から大津に移し、即位して天皇となった。この遷都は、唐(とう)や新羅(しらぎ)などとの緊張関係に伴うものであったが、大津が、“盟友” 藤原氏の勢力圏、山科に隣接していたことも大きな理由とされる。天智10年(671)、大津宮で没した天智天皇は、山科の鏡山(かがみやま)の南麓に埋葬されたといわれる。
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