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∈恭仁□□□□□□□□□□□□□□□□□□□∋ |
⊂政治史⊃
(奈良時代) |
◇山背恭仁京に遷都 <740> |
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□恭仁京:聖武(しょうむ)天皇が恭仁京(くにきょう)へ遷都。
□恭仁宮
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◇国分寺建立の詔(みことのり)
<741>
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□国分寺(こくぶんじ)
□国分尼寺(こくぶんにじ)
741年、聖武天皇の詔により全国に国分寺(金光明四天王護国之寺)及び、国分尼寺(こくぶんにじ)(法華滅罪之寺)(ほっけめつざいのてら)が設けられ、東大寺を総国分寺、法華寺を総国分尼寺とした。政界の不安や疫病の流行などによる社会不安を仏教の力によって鎮めようとしたものと思われる。 |
◇近江紫香楽(しがらき)に離宮を造る
<742>
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◇大仏造営の詔(みことのり)
<743>
⇒近江紫香楽京(おうみしがらききょう)に造営を計画
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□東大寺(とうだいじ)
743年、聖武天皇は近江紫香楽京(しがらききょう)で盧舎那仏(るしゃなぶつ)(大仏)造立の詔を発した。745年の平城復都とともに大仏造営も奈良の東大寺に移されて、747年から着工をはじめ、752年に開眼供養(かいげんくよう)が行われた。この間、行基(ぎょうき)・良弁(ろうべん)らが造営に協力し、行基はこの功により大僧正に任ぜられた。大仏造営の目的は国分寺建立と同じく、仏の威霊によって鎮護国家を期待したものと思われる。 |
◇難波京に遷都する <744>
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⊂文化史⊃
(天平文化) |
∈□□□□□□□□□□□□□□□□□□□史紀∋ |
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